民話

民話

屋久島には、様々な民話が数多く残っています。
ここでは、それらの中でも山岳信仰や祖先を敬う気持ちが織り込まれた興味深い話を中心に、とりあげてみました。

出典は、下野敏見著 未来社発行の「屋久島の民話 第二集」です。

この民話集には昔から伝わる昔話だけでなく、当時、著者が屋久島の人々の体験を聞いて書き留めた、ほんとうにあった話も多く含まれています。(各お話の文末にあるお名前と年齢は、著者が1965年にその話をお聞きした方のお名前と年齢です)

それでは、屋久島の不思議なお話をお楽しみ下さい。 はじまり、はじまり・・・。
目次

神様のお通り 山姫 山のオン助 23夜さま 先島丸 乙女が石 唐船淵の主 小花之江河の女 消える鹿骨
神様のお通り

むかし、尾之間のある年寄りが孫をつれて、モッチョム岳のふもとの宮方という山に、たきぎとりに行きました。

この付近は、神無月(十月)になると、屋久島中の神様がモッチョム岳から割石岳の尾根に集まってこられるときの通り道であるといわれています。

そのときは、笙、笛、太古の音がにぎやかに聞こえ、弓張りちょうちんの灯りもいくつも見えるそうです。

じいさんと孫がたきぎをとっていますと、生あたたかい風が吹いてきて、そのところだけ草がなびいていました。
じいさんは前にもこんな体験がありました。

「ほぁ、ほぁ、金兵衛、神様が通いやっから、坐ってびんたを下げ」(ほら、ほら、金兵衛、神様がお通りだから、坐って頭をさげなさい)

じいさんは孫にこういって、しゃがんで頭を下げていましたが、孫は見たくなってそっと頭をあげました。

「あっ。」

一間ぐらいの幅に草がなびいて、その草の上をすべるように進むものがあります。
頭は猿のように赤く、白ひげを生やし、白い衣を着流しの大男が過ぎて、見るまにモッチョム岳のほうへ見えなくなりました。

それ以来、その孫はツンツン(耳が遠い人)になったというはなしです。

はなし 屋久島町 尾之間 日髙一典(36)

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山姫

「屋久島の山は深いもんじゃから山姫という者がおんど。じゃから、あまり深い山に入るな」年寄りたちはこういって子どもたちをいましめています。

「山姫はきれいなおなごで、髪は今洗ったばかりのつやのある洗い髪で、うしろへ長く垂らしている。そして十二ひとえの緋(赤い)のハカマを着て現れる」

とか、または、

「山姫は木の精だ。それで旧の正月、5月、9月の山の神祭りの日には、ぜったいに山には行くな。この日、山姫は祭りの潮水汲みに、タンゴ(木の桶)を下げて(持って)降りてくるものじゃ。」

「山姫にあったら、向こうが笑わんうちにこっちから笑え。山姫が先に笑ったら、たちまち首の血を吸われる。山姫が怒ってくるときは安全だ。」

「山姫は、はじめその顔を、正面からはけっして見せない。後ろ向きに見せる。
そして横に顔をふって横顔を見せる。このとき笑う。笑ったとき、こちらがつい、つりこまれて笑うと、血を吸われる。そしてその人はもう帰らない。笑わずに、にらみつけておけば、山姫は去って行く。」

「山姫に出会ったら、ワラジの鼻緒を切って唾をかけてなげてやれ。あるいは、カイノ(背負い道具)のひもをちぎって投げてやれ。それで、カイノのひもは必ず片方は長くしておくものじゃ。」

「山姫は三味線をひいて歌を歌うこともある。赤ん坊を抱いていることもある」

などと、いろいろいわれて、山姫は大変恐れられているのです。

さてある年のこと。吉田部落の若者が白銀山に炭焼きに行きました。

ところが山の中で、背の高い、腰にシダを巻きつけたはだかのおんなに出会いました。よく見ると髪は茶色、ひふはまっしろで、いままでにみたこともない美しい女です。
まるで吸い込まれるような魅惑的な感じです。次の瞬間、

「山姫だ。」

若者はこう思って、腰を抜かさんばかりに驚きました。

若者は急いで傍らの榊の枝を折って、それを降りながら、一目散に山をかけ下りました。榊の枝は魔よけになるといわれています。若者はそのおかげであやうく命びろいしました。

もうひとつ、こんな話があります。

名超(なごえ)という男が宮之浦の向こうの地獄谷というところに竹切りに出かけました。竹を一本切ったときに、大雨がザーザー降って来ました。そこで手拭いで顔を拭いて、ちょっと向こうをみたら、たてじまの着物を着て、髪はかかとまで垂れ下がった女がつっ立っています。

次の瞬間、何か、ぴしゃーと女の威光にたたきつけられて、男はそこにひざまづいたまま、しばらく頭は上がりませんでした。

雨はどんどん降っています。男が恐る恐る頭を上げてみると、女はすぐ近くまで来ていました。男は夢中で後ずさりしながら、

「もう二度とここには来んから、どうか許してくれ」

と一心に詫びました。そしてふたたび、頭を上げると、女は2間ぐらい先に立って、にこにこ笑っています。男はどうなることかと生きた心地もなく、そのままひれ伏していました。

そのうち、雨がやんで来ました。男が恐る恐る頭を上げてみると、竹やぶの小道を、女はそろそろと向こうへ行くところでした。黒髪をかかとまで垂らしたその後ろ姿も、飛び上がるようなべっぴんでした。

やがて雨はすっかりやんで、カラッとしたウソのような上天気になりました。男はやっと安心したものの、さっき切った1本の竹はそのままにして、急いで家に帰りました。それから一週間、男は寝込んでしまったということです。

はなし 屋久島町 宮之浦 荒木謙次郎(36)
屋久島町 宮之浦 中島菊助(68)
屋久島町 宮之浦 岩川貞次(60)
屋久島町 一湊 浜崎三郎(71)
屋久島町 志戸子 森熊助(81)
屋久島町 永田 岩川シマ(50)
屋久島町 吉田 田中政一(50)

余談:
山姫を見たことがあるお年寄りは屋久島にはいまでも沢山います。私の祖父もその一人で、今でもこの話を聞くと、戦争の生々しい体験などは普通に話してくれるのに、山姫の話だけは今でも怖いという表情で話をします。まるで山姫に、山姫の話をしているのを聞かれるのが怖いような話ぶりで、聞いている方がぞくぞくしてしまいます。私のおじいちゃんは一湊の杉山で若い頃出合ったそうですが「あれだけは本当に怖かった」といいます。どうしてこんなに沢山の人々が、似たような見た目の女の人を見たり、あるいは見た、という幻覚を引き起こすのか、とても不思議に思います。

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山のオン助

屋久島の山には不思議なことが多い。

10月になれば、山と山の間に太鼓の音がドン、ドン、ドン、とゆっくりと聞こえ、それが夜明けになると、ドンドンドンドン・・・と早く聞こえてくるといわれます。なぜかと言うに、10月は神無月(かんなづき)と言われ、全ての神様が出雲に出かけて留守になるので、天狗があばれるのだというのです。

山の峯にある松で、枝が密集しているのをよく見かけます。それは天狗が、毎月の一日、潮汲みに降りるとき、腰掛けて休む場所だそうです。そんな木を伐れば、たちまちたたりがくるといって、人々は伐りません。でも山師がどうしてもその木を切らねばならぬ時は、前の晩にヨキ(斧)を立てかけておいて、翌朝もそのまま立っていたら伐るのです。もし倒れていたら、ぜったいに伐りません。

深山に行くと、天気のよい日でも、とつぜん、ものすごい地響きがしたり、大木がバリバリバリバリーと倒れる音がしたりします。山じじいとか、山和郎(やまわろ)などといって、男の化け物も出るかと思えば、きれいな山姫や子どもみたいな妖怪が出ることもあるのです。

さて、ある年の秋。佐々木さんは、兄と一緒に、湯泊のずっと奥山の七子岳とエボシ岳の間に、猿ワナをしかけに行きました。日が暮れたので、ふたりは、アラケのミノオというところの岩屋に野宿をしました。夕食もすんでから、兄はさっさと休みましたが、佐々木さんは焚き火をして起きていました。

すると、「オーイ」という声がしました。はっと思ってすぐ前に飛び出してみましたが、何もいません。しばらくしたら、また、「オーイ、オーイ」という声です。佐々木さんも、「オーイ、オーイ」と答えてみましたが、それっきりでした。

兄が目をさまして、「返事をすんな。決しておらぶな(叫ぶな)」と注意しました。「あれは、なにか」「なにかということは、山ではいわんもんじゃ。けっして、山であれに答えてはいかん」「あれは、なにか」佐々木さんが何度も聞くので、兄が小声でそっと教えてくれました。「あれはな、山のオン助というもんじゃ」

それから、しばらくしたら、また入口で、

「オイ」

と、こんどはさっきより大きい声でしたので、佐々木さんはびっくりしたひょうしに

「オイ」

と返事しました。すると、

「キャー」

っと叫びました。しばらく静かでした。佐々木さんは立木を手にかまえて、待っていました。すると、

「オイ。」

そこで、かたわらの燃え木を、声の方に、はっしと投げつけました。それっきり声がしないので、喜んでいたら、なんと今度は、頭上の岩壁をキーキーひっかくやら、大木がバリバリバリーと倒れる音がするやら、ガラガラガラ、ドターンと山くずれの音がするやら、たいへんなことになりました。とうとうその晩はふたりとも一睡もできませんでした。

ところが不思議なことに朝になったら、ウソのように静かになりました。その日、猿ワナの仕事の都合で、もう一晩そこに泊まったところが、前の晩よりもっと烈しく、あばれはじめました。佐々木さんは、たまりかねて鉄砲をダーンと打ち込んでみましたが、さっぱりききめがありません。

夜があけると、すぐふたりは、そこをひきあげました。そして次の晩は、1キロ半ほど下の紅葉ガ田尾というところに休みました。そこは何事もなく無事でした。

山のオン助は、鳥でも、けだものでもありません。山の怪物の一種です。
佐々木さんは、猟友会の席でこの話をしたら、多くの人が同じような体験をしたということでした。
はなし 屋久島町 湯泊 佐々木吹義(66)

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23夜さま

屋久島ではどの集落でも23夜待ちの行事がさかんに行われています。

船行(ふなゆき)や湯泊(ゆどまり)、その他各部落では、当番の家や神社などに集まって、月の出から翌朝の日の出まで、夜明かしで、出郷者の安全、部落豊作などを祈るのです。

さて、むかし。正月23日の晩のこと。屋久島と本土を結ぶ運搬船が時化(シケ=海が荒れている状態)の為、遭難しました。船乗り達は、ひっくり返った船の綱に必死になってしがみついていました。このとき、船の飯炊きの男が、

「今夜は23夜じゃなぁ。村では、みんなおれたちのことを祈っていてくれるじゃろうなぁ」

とつぶやきました。それを聞いた別の船乗りが、

「こうなってから23夜も何もあるか。おれたちはこれでおしまいじゃ。」

と言い返しました。みんなそれに相槌を打っていました。

ところが、しばらくしたら、赤い灯を灯した小船が荒波をのり超えて近づいてきました。

「あっ、船だ、船だ。助けてくれぇ。」「おーい、助けてくれぇ。」

みんな口々に叫びました。ところが船の中には坊さんみたいな人がひとりのって、櫓(ろ=ボートでいうオール)を漕いでいます。やがて船は飯炊きの男のそばに寄って来て、

「この船はこまか(小さい)から、ひとりしか乗せることはでけん(できない)。飯炊き、おまえが乗れ」

こういって、飯炊きだけを助け上げました。他の人たちは、いかに南の海とはいえ、真冬の海です。まもなくこごえ死んでしまいました。

「坊さんみたいな人はきっと、23夜さまのお姿に違いない」ーーあとになってから、村人はこう噂しあって、それからというもの、どの部落でも、いっそう熱心に23夜の祈願をするようになったということです。

はなし 屋久島町 楠川 芝 喜助(80)

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先島丸

宮之浦の墓地に行くと、霊屋(たまや)の壁に、帆掛け舟を描いて、そのわきに「先島丸(さきしままる)」と書いてあるのがみられます。南海の孤島、屋久島では、死んだ魂は舟であの世に行くと考えられているのです。

ある年の盆の16日のことでした。この日、家々では、盆に招いた精霊(しょうりょう)さまを、またあの世に送り出す日なのです。それでこの日まではあまり仕事などしないのだと言われています。

さて宮之浦の荒木伊八郎という男が永田というところに急用ができました。宮之浦から永田まで6里(24km)の道のり、それに盆の16日というと、暑いさかりです。伊八郎は朝かげのうちに行こうと思って、夜中の一番どりがないたとき、宮之浦を発ちました。

益救神社の前から海沿いの道をずんずん行くと、やがて道は山あいに入り、登り坂になりました。一里(4Km)ほど行くと「振り腰の峯」にさしかかりました。快よい海風が吹き上げてきます。昼間なら、道を登りつめたところからは、下の海が見え、かなたには開聞岳(かいもんだけ=鹿児島本土最南端にある山)や硫黄島、種子島などが望まれるとても見晴らしのよいところなのです。眼下の海は「泊い川の浦(トマイゴのうら)」といって、トビウオの漁場になっているところです。伊八郎は、

「やれやれ、ま、タバコをいっぷく」

とつぶやいて、腰を降ろそうとしました。そのとき、ガヤガヤガヤと下のトマイゴの浦に大勢の人声がしてきました。

「おわ、(おや、)おかしかどね(おかしいね)。トビウオ時期でもなかが、何者じゃろうか。しかも盆の16日じゃというのに」

けげんな顔をして伊八郎が、ひょこっと下を覗いてみたところが、思わず

「あっ」

と叫ぶところでした。それもそのはず、何百艘とも知れぬ帆掛け舟が浮かんで、浦いっぱいにひしめきあっているのです。そしてどの舟の帆にも「先島丸」と大きく書いてあります。伊八郎は急に背筋が寒くなって、持っていたキセルをぽとっと落としてしまいました。伊八郎のうしろには振り腰の峯が夜空に黒々と迫って、あたりには人影などまったく見えません。伊八郎はあわててキセルを拾って火をつけました。そしてもう一度、こわごわと下をのぞいたところが、どうしたことでしょう。こんどは何もない暗い海ばかりです。さっきの先島丸は影も形もありません。あんなに賑やかだった人影もまったく消えうせて、夜の静けさだけがありました。

伊八郎はもう永田へ行く気がせず、急いで宮之浦へ引き返しました。

こんなことじゃから、盆の16日は仕事などしないで、寺参りなどして精霊さまを送るものだそうな。伊八郎の見た先島丸は、きっとあの世から宮之浦へやってきた精霊さまが、帰って行かれるところじゃったのでしょうな。

はなし 屋久島町宮之浦 岩川貞次(60)

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乙女が石

小瀬田の近くには、男川、女川という2つの川が隣合って流れています。土地の人は男川をオガーコウ、女川をメンコとよんでいます。この2つの川の間にある野に立つと、ひろびろとひらけたかなたに、海抜1300メートルの愛子岳がその美しい姿を見せてくれます。

むかし、この小瀬田に仲のよい若者と娘がありました。あるとき、娘は女川の先の野原へ草切りに出かけました。その頃、女川には橋はなく、川の中の石づたいに渡っていました。ところがちょうど水があふれていたので、娘はあやまって深みに落ちこんでしまいました。

「あれぇ、誰か助けてぇ」

娘の悲鳴があたりにひびきました。このとき、一匹の野猿が、じゃぼっと水に飛び込んだかと思うと、溺れている娘の体を川の真中の岩の上に押し上げてくれました。

おかげで娘は一命をとりとめました。このことがあってからというもの、娘が草切りにでかけると、必ずその猿がついてくるのでした。命の恩人ですから、娘はその猿を可愛がっていました。ところがある日、猿がしきりに身ぶり手ぶりしながら、娘をどこかに案内して行くのです。娘は不思議に思いながらついて行くと、とうとう愛子岳の林の中に連れて行かれました。

娘はそれっきり、村へは戻ってきませんでした。村人は、あの娘はきっと猿といっしょになったのだろうと噂しあいました。いっぽう、娘と仲のよかった若者は、

「ほれ、あれを見れ、猿におなごを取られてしもたが。あははは・・・」

と村人に笑われたので、いたたまれず、とうとう川の淵に身を投げて死んでしまいました。それが男川です。そして、男川に対して、娘が溺れて猿に助け上げられた川を女川と呼ぶようになりました。

娘がいなくなって、その両親はなげき悲しみました。そして村人に頼んで岳の方を探してもらいましたが、見つけることはできませんでした。両親は朝な夕な、天にそびえたつ美しい岳を見ては娘のことを思いました。それからその岳を愛子岳というようになったということです。

娘が猿に助け上げられたという岩は、今も女川の下流、川口の近くに、黒いひょうたんを浮かべたような格好でそのままあって、乙女が石と呼ばれています。

はなし 屋久島町 小瀬田 永綱 勇(故人)

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唐船淵の主

むかし、宮之浦に、カラスをとって食う狩人がおりました。ところが年中カラスばかりとるのでその数がめっきり少なくなってきました。そこで狩人は岳に入って猿や鹿もとることにしました。

ある日、八重岳の奥深く分け入って狩りをしたその帰り、道を迷ってしまい、鉈折岳(なたおれだけ)の向こうの門前山まで来たときは、もう、日が暮れてしまいました。そこでしかたなく、大木の下に一夜を明かすことにしました。ちょうど真夜中のころ、

「おーい、おーい」

と、狩人の寝ている大木の上から声がして来ました。すると向こうの森から、

「おーい」

と返事が返ってきました。

「おかしかなあ。誰も人はおらんはずじゃが、不思議じゃなあ。」

狩人はキツネにつままれたような気持ちでいると、また頭上で声がしました。

「けさ、宮之浦の部落にお産があるはずじゃから、おれが産声を聞いてくるからね」
「そうか、そいなら聞いてくれ」

狩人はますます不思議な気になりながら大木の上をじっと見つめてみましたが、どうも人のいる気配などありません。ただ、風がさぁーっと、こずえを吹き抜けていくばかりです。

「おかしかなあ。木の精じゃろうか。おれのカカ(妻)もまもなくお産をするはずじゃが、まさかなあ」

こう思って首をかしげているうちに、また、うとうとと、眠りかけて来ました。その時、また声がしました。

「おーい、行って来たど」
「そうか。早かったな。その赤子は男ん子か、女ん子か」
「りっぱは男ん子じゃった」
「それはよかった。ところで産声はどうじゃったか」
「産声はまこてよか(本当にいい)、おとなしか子じゃ。じゃばってん(でもなあ)、7つになる時の5月 節句に、川どり(川のぬしからとられること)になるということじゃ」
「ふーむ、それは可哀想なことじゃな」

これを聞いて狩人は、急にカカのことが心配になってきました。やがて、しらじらと夜が明けてきました。狩人は急いで、宮之浦のわが家に帰ってみました。ところが、案の定、カカは男の子を産んでいました。

「まあ、良かった、良かった」

狩人はこういって喜びましたが、今しがた門前山で聞いた木の精のことばが心に残ってはなれません。しかし、よけいな心配をかけたくないと思って、その事はカカにも誰にもいいませんでした。

いつしか夏が過ぎ、冬がやって来ました。男の子はずんずん成長して行きました。狩人はあれほど気にしていた木の精のことばも、いつのまにか忘れてしまっていました。そして何年かたちました。

屋久島の山は、南の島とはいいながら、高い山なので、冬になると頂上は雪が積みます。そこで頂上ふきんにいた鹿や猿は山すそに降りてくるのです。そのころ、狩人は夏はもっぱらカラスをとり、冬は鹿や猿をとっていました。ある日、奥山に分け入った狩人はまた門前山まできた時、日が暮れてしまいました。雪のちらつく寒い晩でした。夜中になると、また木の声がして来ました。

「おーい」
「おーい」
「いつかの産声の子もいよいよ7つになったなあ。ことしは川どりの年じゃなあ」
「そうじゃな。可哀想じゃが、しかたはなかね。あの子のトトがカラスをとるからなあ」
「ほんのこて(本当だよね)。カラスは鳥でも、カラス天狗といって、天狗のなれのはてじゃ。カラスはとって食う鳥じゃなかからなあ」

じっと聞いていた狩人は、すっかりおどろいてしまいました。その狩人こそ、まさしく自分のことです。このとき、狩人はもうこれからカラスの猟はけっしてしないと心にちかいました。狩人は夜があけるのを待ちかねて、一目散に宮之浦の家に帰って、

「カカよ、カカよ、じつはこうこうじゃった」

と、妻にも一部始終を話すことでした。

話は早いもので、いつしか5月節句がやってきました。この日、宮之浦では村中こぞって子どもが川どりにならぬように、水神祭りをすることになっています。そして余興として、若者たちは宮之浦川の唐船淵(とうせんぶち)から川口まで、「押し舟」といって舟こぎ競争をするのです。その日、人々は、早くからごちそうの準備もして、宮之浦川のほとりに、大人も子どもも、はしゃいで出て行きました。

しかし狩人の家では、狩人もカカも子どもも家におりました。狩人は子どもに、

「きょうはおまえはどんなことがあっても外に出てはならんど。トトのいう通りするんじゃぞ」

とかたくいいつけました。そして狩人は2つ弾の鉄砲を持って、木戸口にかまえていました。ところがやがて、見なれぬ美しい女がひょっこりやって来て、

「おまえの子どもは、なしけ(どうして)、きょうは遊びにやらんとか。きょうは子どもが川どりにならんようにお祭りをする日じゃが」

といったかと思うと、家の中につかつかと入って行き、子どもの手をひいて行こうとしました。

「おい、何をするか。おまえはどこのおなごか」

狩人が鉄砲を向けて、きびしく問いました。

「わたしは旅の女子、けっして怪しい者じゃなか」

こういってにっこり笑ったとき、狩人は女の着物の裾がびっしょりぬれていることに気づきました。

「うぬ。おまえは川の者じゃな。おれの子を川どりにする気か」

こういうが早いか、狩人の指が鉄砲の引き金にふれました。次の瞬間、ダーン、耳をつんざくような銃声があたりにひびきました。

「きゃーっ」

女は悲鳴をあげて逃げて行きました。女の逃げたあとには真っ赤な血が点々と落ちていました。狩人はそのあとを追いました。やがて女は宮之浦川の川上の唐船淵に行きつくやいなや、ざんぶと飛び込んでしまいました。

「ふーむ、あのおなごは唐船淵の主じゃったか」

狩人は感にたえた風で、こうつぶやきました。さて、それからというもの、子どもの身の上にはなにごともなくて、とうとう百歳まで生きたということです。

はなし 屋久島町 宮之浦 中島 菊助(69)

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小花之江河の女

屋久島の山の獲物は、猿、鹿、いたちの3種類しかいません。ひと口に、屋久島の山といっても、チッポケな島の山ではなくて、周囲100キロの島全体が、けわしい山岳であり、昼なおくらい深山なのです。1000メートル以上の山が三十もそびえるこの山々を歩き回るということは容易なことではありません。

ところが、湯泊の漁師、佐々木さんは、屋久島の山のことなら、誰よりもよく知っていました。屋久島の山の奥深く、海抜1600メートルのところに、花之江河という天然公園があります。屋久杉にかこまれた湿地に、春から夏にかけては、まっ白いシャクナゲの花がけだかく咲き誇り、また三つ葉ツツジやヒゲ人参の群生も見られます。そこに、小さい池がいくつもあって、底の白砂が数えられるぐらい池の水は澄み切っています。そして時おり、その近くを鹿が走り抜けて行くのが見られます。

ある年の12月中ごろ、山は雪が降る寒い日のことでした。鹿といたちをとるため、佐々木さんは花之江河に向かっていました。花之江河の1キロばかり手前の小花之江河のというところまできたとき、

「あっ」

と思わず、息をのみました。

清流のほとりに、ひとりの女が黒髪をたらして、すっぱだかで立っているのです。
白い肌をさらして向こうむきに立つ女をじっと見つめたまま、佐々木さんは、とっさの間に2ツ弾の実弾をつめました。人里離れた山奥の、しかも里の女はぜったいに上らない御岳の近くです。そして南の島とはいえ、屋久島の山々の頂には、雪が1メートルも降り積もっているときです。また屋久島には恐ろしい話が多く、とくに山姫は恐ろしいものとされています。山姫にあったら、ぜったいに正面からその顔を見てはいけない。もし見て、山姫がにっこり笑ったら、その人は死ぬといわれていました。

しかし佐々木さんは恐ろしいとは思いません。何十年の間には、数えきれないほど、山で寝泊りし、いろんな目にあってきましたが、まだ本当に恐ろしいと思ったことはありませんでした。佐々木さんは、女の正体をつきとめようと、銃をにぎりしめて接近して行きました。雪はあたりを白一色におおい、林は静まりかえっています。雲間をもれた太陽が女を照らしたとき、その体が前かがみに動きました。女は水を浴びているのでした。もし人間でなかったら、いつでもボンとやるばかりに、佐々木さんは引き金に指をしっかりとかけていました。3メートルばかりに近づいたとき、佐々木さんは声をかけました。

「もし」

女はとびあがりました。そしてくるっと、うしろを向いた瞬間、ピタリと向けられた銃口を見て叫びました。

「猟師さん、うたんでください。」
「おまや(おまえは)、ほんとうの人間か」
「はい。あたしはほんとうの人間です。」

そこではじめて、佐々木さんの銃口がそれると、女はほっとした様子で、あわてて着物をつけました。そして小花之江河のすぐそばにある「こうばん岳」にはかならず神様がおられるにちがいないので、そこにお詣りするため、今、水浴をして清めていたところだと、話してくれました。しかし、そんなわけを聞いたところで、佐々木さんには、かえってそんなことをする女が不思議に思えてなりません。

「じゃあ、おまえはなんのため、神さん参りをすっとか(するのか)」
「あたしは、神さん修業をしに来ましたが、いろいろ事情もあります。それは聞いてくいやんな(それは聞かないで下さい)」
「これから、どけ行くか(どこに行くのか)」
「全部の岳の神さん参りをしもさんばじゃ(しなくてはなりません)。どけ(どこ)というあては別にありません。」
「おまえはどこの人か。村は。」
「それも聞かんごとして下さい(聞かないで下さい)」
「わしは、けさ、はように里から登ってきたが、おまや(おまえは)おなごひとりで、こげなところに(こんなところに)、はよからきて、たいしかもんじゃ。じゃが、雪が深くなりそうじゃから、わしと一緒に里に下らんか」
「いや、あたしは、ひとりでよいです」

佐々木さんは思いました。--これはきっと、何か特別のわけがあって、神信仰に夢中になっているのだろう。こんなところにただひとりきて、なかなか感心なおなごじゃが、しかし、どうも不思議なおなごだ。今日はどうも妙な日じゃな。--それから佐々木さんは、獲物とりはあきらめて、ひとり山を下っていきました。

その翌日、佐々木さんは雪をついて登ってみました。あの女は山姫などではなく、ただの人間だと思いながらも、何かすっきりしないものがあったので、もう一度確かめてみたかったのです。

しかし、女はいませんでした。3日目も行ってみましたが、どこにも見当たりません。その日は小花之江河付近も、深いところは1メートルも雪が積んでいました。女の足あともまったくわかりません。

「わしは恐ろしいと思ったことはいっぺんもないが、不思議な目には何度かあった。この話もそのひとつじゃ。屋久島のような大きな山になると、不思議なことにも出会うものだ」

佐々木さんはこういって、竹でこしらえた吸がら入れのふちを、キセルで、ポンポンと威勢良くたたくのでした。

はなし 屋久島町 湯泊 佐々木吹義(66)

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消える鹿骨

屋久島は、猿2万、鹿2万、人2万、といわれるほど、猿と鹿が多いのですが、年がら年中、山をかけまわっている佐々木さんにとって、不思議なことが1つありました。

春の新芽を食うたら、鹿の角は落ちるものじゃ。--といわれるように、毎年、春の彼岸の時分になると、鹿の角は、ひとりでに落ちるのですが、その落ち角がめったに見つからないのです。何十年も猟をしてきた佐々木さんも、4、5回しか拾ったことはありません。ところが、この疑問がとける日がやってきたのです。

ある年の秋、佐々木さんは花之江河から2キロばかり手前のデータヤドエ(データロー岩屋)という岩屋に、ひとり泊まることになりました。こうしたことには慣れているので、持参のナベ、米、ミソを出して、ゆっくりと準備にかかりました。

秋晴れの夕暮れ、わずかの雲がアカネに染まり、見渡す限り、屋久の山々の頂が、くっきりと見えていました。蝉の声にまじって、時々小鳥の声もしてくる、まことに気持ちのよい夕暮れでした。

佐々木さんは、晩飯のおかずにしようと思って、鹿を探しに出かけました。まもなく、大きな屋久杉の切り株の上に坐って、首にさげていた鹿笛をジージージーと、3声ふきました。しばらく間をおいてから、またふきました。鹿寄せの笛です。切り株の上に坐ったのは、鹿を撃つときは、的の見通せるところがよく、森の茂みのなかなどでは撃てないからです。

佐々木さんがじっと耳を澄ましていると、50メートルぐらいの地点に、グズグズグズグズと、人の話すような声がしてきました。

「きたいやなあ。(けったいだなあ=妙だなあ)人のおるはずもないが」

と思いながら近づいていくと、声はぴたっと止んで、あたりに人影などまったくありません。不思議でした。たいていの人なら、これだけでもう、山の神のしわざであるとして、すっかりおびえるところですが、ものおじしない佐々木さんは、かえって興味をそそられました。

もとの切り株に戻って、もう一度、ジージージーと、鹿笛をふいてみました。しばらく耳をすませていますと、さっきと同じようにグズグズグズグズという声がしてきます。
さっそく、その方角に行ってみましたが、何もいません。そこでまたもとへもどってふいてみました。

いつのまにか、真っ赤な夕焼け空は紫に変わり、山々の頂の線もおぼろになり、あたりには夜が忍び寄ろうとしていました。

今度は慎重でした。声の方に、一歩近づいては立ち止まり、しばらくしてからまた一歩近づいて行きました。グズグズグズグズという声は止みません。とうとうまじかに迫りました。じいっと目を見開いて、よく見ると、人間の頭の倍ほどの丸い真っ黒いものがあるではありませんか。声の主は、まさしくそれです。

「幽霊じゃろうか。岳に幽霊が出たという話は聞かんが。じゃばって(でも)、もし幽霊ならおもしろか」

佐々木さんはこう思いました。ところがその時、なにやら小さいものが、ぴょんと飛び出してきました。みると、小さい、足の長い蛙です。佐々木さんはすばやく、かたわらの木の枝をへし折って、真っ黒いものをパタパタパタとたたきました。すると、真っ黒いかたまりはほどけて、バラバラに散っていきました。驚いたことに、それは何十何百匹の蛙の群れでした。

「しかしなぜ、蛙がこんなにたくさん、しかもこんな山の上におるのじゃろう」

佐々木さんは不思議に思いながら、蛙の飛び散ったあとをよく見ると、白い角みたいなものがありました。手に取ってみると、三つ枝の立派な、まっしろい鹿の角でした。

「おかしなこともあるものじゃ。蛙が鹿の角をどうするというのだろう」

いよいよ奇妙に思いながら、その角を右手に持ちかえました。ところが、さっきの左手の中がねばりつくのです。そこで、白い鹿角を近くの清流に持っていって、洗ってみました。ところが、角はボロボロになっていて、ちょっと力をいれてこすると、ポキポキ折れるのでした。

「ああなるほど。これで読めたわい。鹿の落ち角は、蛙どもが特殊な粘液を出して、ドロドロに溶かして食べるのじゃな」

ながい間の疑問がやっと解けた嬉しさで佐々木さんの心は星空のようにはればれとなりました。屋久島の岳の夕暮れ、太陽はとうに沈んで、あたりは夕闇に包まれ、黒味岳の頂のふきんには星が光り始めました。夕食のおかずはふいにしてしまいましたが、新発見をした佐々木さんは、けして悔やみませんでした。

–佐々木さんは、ここまで話してから、太い眼を細めて愉快そうに笑いました。そして次のことを加えました。

「屋久島の岳に蛙がおるということは信じられんかもしれん。じゃが、わしはこの眼ではっきりと確かめた。この話を宮之浦の猟友会の席で話したら、皆笑って、信用してくれなかったよ。しかし、その翌年、また猟友会があったとき、同じような経験をしたという者もあらわれて、私の話がはじめて皆に信用されたのじゃよ」

こういって佐々木さんは、もう一度巨体をゆさぶって、愉快そうに笑うのでした。

はなし 屋久島町 湯泊 佐々木吹義(66)

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